英語は具体化、日本語は抽象化の言語

英語、日本語問わず、文法は誰かが発明したものではなく、自然に生まれたものです。もし文法が難しかったら言語として成立しません。もし誰かが複雑な文法を発明したとしても、言語が未発達な世界ではその文法を伝える手段が存在しません。自然言語として成立するには「文法の共通化問題」をクリアする必要があります。

そして、自然言語の文法を理解する上で重要なもうひとつのキーワードは「ワーキングメモリの制限」です。人間の脳内にはワーキングメモリと呼ばれる機能があり、これは一時的に物事を記憶しておく場所です。この「ワーキングメモリ」はかなり容量が小さく、4~5チャンクしかありません。

4~5チャンクというと人物なら4~5人、数字なら7~8桁の容量になります。英単語だと4~5個まで。ただし、生まれつきワーキングメモリの容量が大きい人がいて、カタカナ30個覚えられる人もいます。ワーキングメモリの容量が大きい人たちは、国語の読解能力が高いという特徴があります。

言語として成立させるには、ワーキングメモリの制限をクリアすることが条件となります。誰かが全く新しい文法を作ったとしても、ワーキングメモリの問題を解決しない限り実用に耐えない言語になります。

英語の場合、文法・語順はワーキングメモリの消費が最小になるように最適化されています。複数の英単語をそのままワーキングメモリに格納するのではなく、英単語を並べていくことで一つのイメージを作り上げ、ワーキングメモリ消費を1つに抑えています。

日本語は語順のルールがないことで「文法の共通化問題」をクリアしています。「私は昨日学校へ行きました。」「昨日私は学校へ行きました。」「学校へ、私は昨日行きました。」どれも同じ内容です。ルールが存在しないので、言語の成立過程でルールを共通化する必要がありません。 極端な例として、英語の語順でも意思疎通は可能です。 「私は行きました、学校へ、昨日。」

一方の英語は 「一つのイメージを作り上げていくのに適したルールに」なっています。最初に主語「I」を提示し、イメージの元「私」を脳内に作ります。次に「went」を付け加えるとイメージが「何処かへ向かっている私」に変化します。「to school」を加えると「学校へ向かっている私」に変化。最後に「yesterday」を加えてイメージが完成。ここまで消費したワーキングメモリは一つです。これは誰かが発明したものではなく、「脳内でイメージを作り上げていくと、勝手に英語の語順になってしまった」ということです。これならば語順ルールの共通化をする必要がありません。自然言語として自然に成立します。

英語を習得する場合、文法ルールを丸暗記するのではなく、イメージを作り上げていくトレーニングをする必要があります。文法そのものが本質ではなく「イメージを作り上げていくこと」が本質だからです。文法を丸暗記しただけでは適切イメージが作れず、「文法は正しくても意思疎通困難な英語」が出来上がってしまいます。日本人の英語が嫌われる原因の一つがこれです。

ここでもう一度日本語に注目してみます。「私は昨日学校へ行きました。」という文章は、文法的には正しいですが、自然な日本語とは言えません。試しに、誰かに「私は昨日学校へ行きました。」と言ってみてください。言われた人は、「・・・あっそう。」となります。

「私」「昨日」「学校」の語順ではひとつのイメージが作れません。脳の中では、 この3つを独立したイメージとしてワーキングメモリ内に記憶し、「行きました。」 のところでようやく3つの言葉の関係性を整理し、イメージを作り上げることが可能になります。関係性を整理するために時間が必要でその間、「・・・」となります。さらには、整理するために脳に負荷がかかったため、聞き手は「あっそう。」という感想になります。

英語の語順で、「私は、行きました、学校へ、昨日。」と言われた場合、多少不自然ですが、「昨日」の時点でイメージが完成しているため、「・・・」という妙な間はなくなります。

そもそも、「私は昨日学校へ行きました。」 という言葉は日常的に使いません。 「昨日学校行ったよ。」となります。 主語の「私」を省略し、「学校へ行く」ではなく一語で「学校行く」と表現します。これならワーキングメモリを一つしか使いません。「・・・あっそう。」ではなく「それでどうだった?」という反応になります。

日本語の場合、省略できるものはできるだけ省略して「抽象化」します。抽象化することでワーキングメモリの消費をできるだけ少なくします。一方の英語の場合、とにかくリアルに表現して、イメージを「具体化」することでワーキングメモリの消費を抑えます。一言で表すと、「英語の特長は具体化、日本語の特長は抽象化」です。

どんなに翻訳ソフトが進化しても、リアルな英語の表現をリアルなまま日本語に表現することはできません。英語を日本語に翻訳するということは、リアルな世界観を抽象的な世界観に表現しなおすということです。英語のリアルな世界観を知りたいならば、英語を勉強して英語のまま理解するしか選択肢はありません。

英語の小説を英語の原文のまま読むとはっきりとしたイメージが脳内に浮かび、臨場感を楽しむことができます。抽象的な文章から自由に想像力を膨らまして楽しむ日本の小説とは対照的です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です